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黄皓(こうこう)とは、中国の人物。約2名ほど存在する。

  1. 黄皓 (宦官)蜀漢)の宦官。後主懐帝)の劉禅に信頼されて、中常侍に任命された。この権力を利用して、皇弟の魯王の劉永と上将軍の姜維と対立した。蜀漢が滅亡すると、の部将の鄧艾は彼が跋扈政治した廉で誅殺を命じた。しかし、黄皓は鄧艾の腹心に賄賂を贈って助命された[1]。その後は劉禅に随伴して、洛陽に赴いたという。
  2. 黄皓 (唐) : 曹州冤句県[2]の人。唐末の反乱指導者の黄巣の従子にあたる。従父の挙兵に従って、各地を転戦した。後に従父が部将の朱全忠の裏切りで、悲惨な最期を遂げると、その後を継いで自軍を浪蕩軍と称して抗戦した。しかし、901年に湘陰県の土豪の鄧進思・鄧進忠兄弟によって捜索されて、見つけ出されて殺害された。

脚注[]

  1. 三国志演義』では、そのまま鄧艾に捕らわれて、洛陽に連行されて、晋公司馬昭によって処刑されることになっている。
  2. 現在の山東省河南省の境目